ページの先頭です
モトヤ(大阪)

業界発展支えて100周年〜モノ売りからコト売り商社へ

 (株)モトヤ(大阪市中央区、古門慶造社長)は今年、創業100周年を迎えた。活字の販売から日本で初めて文字のデジタル化に成功し、新聞業界に大きく貢献する一方、日本文をタイプライターで組版する方式を開発し、「タイプレス」として市場に投入後、その印字精度を極めて向上させた曲面活字の開発、さらに作業性を大幅に向上させた組版システムを上市して印刷業界発展に大きく貢献してきた。以来、機材販売にとどまらず業界(企業)の環境対策から補助金申請支援活動にも実績を積み上げ、「モノ売り」から「コト売り」商社として大きな節目を迎えた。そこで今回、古門社長に100年を振り返りながら同社の現状と今後について話しを伺った。


motoya100_1.jpg
初代 慶次郎氏


 モトヤは大正11年2月、古門慶造社長の祖父・慶次郎氏が兵庫県姫路市において活字の製造販売業「モトヤ商店」を開業したことに社歴は始まる。

 慶次郎氏は独立以前、兄弟3人で神戸市内において印刷業を営んでいたが、それぞれが財産分けの形で独立する際に「みんなが印刷業では競争になって困る」ということで別の商売を検討したが、簡単に他業種で生計が成り立つわけもなく、活字の製造販売の道筋を見出しての出発だった。

 しかし、事は上手くいかず商売が軌道に乗るまでにはそれなりの時間を要し、一時期は市内の印刷会社でアルバイトをして生計を立てる日々が続いた。「そんな当時のことをよく祖母から聞かされた」と慶造社長。どちらかというと「おばあちゃん子」だったようで、いつしかその苦労話が身につき、社の生い立ちや歴史の重さ、そして会社を愛する気持ちが人一倍育くまれてきたようだ。

 屋号の「モトヤ商店」は、印刷の元(活字)の製造販売という意味で名づけられたが、欧米の文化が押し寄せる中で「漢字より片仮名の方が時代に合う」と、当時10歳だった2代目・正夫氏の提案。わずか小学5年生の頃というから驚きだ。

 そのうちに商売も軌道に乗り、昭和30年代に入って「商店」の2文字を取って「モトヤ」に改め、商売は一層弾みをつけていった。

二代目 正夫社長の時代
種々の開発で基盤強化

 昭和21年、慶次郎氏の他界にともなって社長に正夫氏が就任した。この3年後の昭和24年、全国展開という夢の実現を目指して本社を大阪市内の現在地に移し、株式会社に法人化するとともに「モトヤ書体」を開発し、正夫氏が念願としてきた書体メーカーとしての企業形態を整えた。


motoya100_2.jpg
二代目 正夫氏


 この後、昭和26年9月、福岡事業所開設を皮切りに、同27年に東京、37年に名古屋、40年に横浜と相次いで拠点を拡大したほか、30年代には外国製印刷機の輸入販売にも着手するなど、エネルギッシュな活動で業容を拡大していった。

 そんな正夫氏は、幼い頃は成人までの寿命が危ぶまれるほどの病弱だったというから、これもまた驚きである。

 「健康を気にして水泳や体操など、時には伝馬船を漕いで海に出て、漕いでは飛び込み、また漕ぐ、自分なりの健康法だったようです」と慶造社長は語る。

 正夫氏は病弱であったために徴兵検査に通らず、川西の軍需工場で働く時期を過した。24時間の交替勤務制であったことから、休日は活字を鋳造し、夜は寝る間を惜しんで書体の開発に没頭したという。幼い頃は、何事も上手にこなす器用なところがあった。とくに習字は得意科目のひとつで学校内でも定評だったようである。この頃養った文字書きの技能が、後の書体開発に活かされたわけだ。

 「昭和38年頃、米国の業界視察から帰国して、いきなり『活字はなくなる。これからはコンピュータによる印刷の時代。それを考えろ』というのです。自分の目で確かめ、判断し、実行する。そんな親父の背中でした」

 昭和44年9月、モトヤは日本で初めて文字のデジタル化に成功し、新聞紙面のデジタル化に大きく貢献した。

 この頃印刷業界は、「活字よさようなら、コールドタイプよこんにちわ」と、いわゆる活版印刷からオフセット印刷へ移行する流れに対し、昭和45年、日本文をタイプライターで組版する方式を研究開発し、「タイプレス」の製品名で市場への投入を開始した。当初は平面活字であったため、円形上のシリンダーに巻き付けた用紙への印字が大きな活字を使用する場合には上下と真ん中で印圧に差が生じる不具合に対し、同社は急遽「曲面活字」を開発して搭載。これを機にタイプレスは爆発的なヒット商品となった。


motoya100_3.jpg
初期のタイプレス


 その後、電動式タイプレスEE型、マイコン制御式のMT-5000、簡易型の3000など相次ぐ開発によって国内の印刷出版業界に一大旋風を巻き起こした。

 こうした開発と実績が評価され、同社は昭和53年に第6回発明大賞考案功労賞、56年10月には一連の組版システムの開発育成の功績で第1回科学技術庁長官賞の栄に浴している。

注目コンテンツ